忘却の果てに
 
「原発回帰を考える」出版記念トーク
➕ドリアン助川朗読ライブ「忘却の果てに」
(主催は日本ペンクラブ)を聴きに月曜、渋谷のLOFT HEAVENに足を運ぶ。
兎にも角にも、ドリアンさんのロックな朗読に痺れる。抒情性も去ることながらルポルタージュの要素が多分に含まれている内容からか、内腑に突き刺さる。叫ぶ詩人、健在である!

ふと気になり、2011.3.11の記憶を辿るべく、ライブ翌日当時の自身の日記を探して開いてみる。

3/11(金)晴れ浅草で◯◯さんと落ち合い、雷門近くのアミューズミュージアムで自身の作品の展示を案内。午後、クラス受けている最中に地下というのに強い揺れ。皆で外に避難。今まで生きてきてこんな強い地震は初めて。そばにいた女の子が”死にたくないよ~”と泣き叫ぶ。5分くらい?してようやく収まりクラスにいた生徒さんたちを帰す。幼稚園に自転車を走らせ、園児の無事を確認。
12日(土)スタジオへ向かうも生徒さんたち来ず。津波で宮城の街が壊滅状態。
13日(日)TVはずっと報道番組。被害は拡大の一方。お店の防災グッズは全て売り切れ。
14日(月)福島原発は相変わらず不安定状態。電力不足で節電。
15日(火)朝方強い余震。節電で最小電力でダンスリハ。ペルー出身のダンス講師が国に帰る準備でクラス無断キャンセル。会津出身のワカコさんは原発爆発による放射能漏れを気にして両親が何とか東京に来れないか模索。ガソリンも無く電車、バスも使えずとにかく大変。東京でも微量の放射能が検知される。少し大きめの余震。静岡で震度6。1000年に一度と言われるこの災害。もう祈るしかない。
16日(水)福島原発は未だ危険な状態。スタバでお茶、隣に座ってた女性は福島の出身らしくマネージャーと思しき男性に両親が心配で、仕事を辞め一旦福島へ帰るという内容の会話が耳に入る。あらゆる局面で影響が、、
18日以降は福島の放射線による風評被害、外国人が相当数自国に避難する話など。4月にわたって余震や放射能のことが綴られるも徐々に日常の内容が占めていく。

これらは僕のささやかな備忘録に過ぎないが、読み返すと当時の感覚が蘇ってくる。かれこれ15年、日常に埋もれつつもかつての大怪我を引きづりつつ(いつ治るかも分からない)今を生きていることを忘れてはならんのです。
2026年2月19日木曜日